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2009年3月30日 (月)

磐神

 thunder
田口ランディさんの本が好きなのですが
最近ご無沙汰で
図書館で読んでいない本をみつけました
借りていたのを思い出し
早く返さないとまずいと
あわてて読んでみると短編集でした
題名からしてだろうなと
思っていたのですが
舞台は広島でした
最初の話は「永遠の火」
原爆が落ちてくすぶっていた火を
カイロに入れて持って
全国を周っている人に出会い
火を分けてもらって仏壇に灯している父が
娘の結婚式のキャンドルサービスに
その火を使って欲しいと思ったことから
始まる物語です
娘は正直に自分の結婚式に
そんな不吉な火を使いたくないと断ります
親子どちらも譲らない中、
いったいどういうつもりでその火を持って
日本中歩いているのか
どういうつもりで仏壇に灯しているのか
父が死んだらその火はどうなるのか
原爆の火をキャンドルサービスに
使うことが平和の火になるのか
そんなことで亡くなった人の恨みや
悲しみは浄化されるのか
そういうことにがんこにこだわります
結婚式直前実家に帰って
両親と一緒に過ごすうち
今まで知らなかった両親の
日々の生活や思いを理解し
でもまだ火のことは納得がいかない娘は
父にもう少し考えさせてと言います
もういいんだと言う父に
よくない 私にとって大切なことだから
と娘が言い
だから それが分かったから
もういいんだ
と言うところでこの短編は終わります
こんなふうな精神に貫かれたこの本
つまり世間が「平和平和」と謳うことで
本当に平和は実現されているのか
とかね
一番好きだったお話は
「磐神」イワガミ
著者とだぶる 売れっ子作家が
広島について書かないかといわれ
毎年祈念式典に訪れ文章も書いたけれど
それだけでは物足りず
1ヶ月ほど取材のため滞在します
被爆者の人たちに取材すればするほど
何を言えばいいのか 何を聞けばいいのか
取材したことをどう伝えていけばいいのか
分からなくなっていきます
諦めて東京に帰ろうとした前日
新聞社の図書室で
古い一冊の本を見つけます
「磐神」イワガミ
読んでみると子供に語るような優しい文章
しかし完成度は高く詩的で美しい
独特のリズムと森羅万象を読み解く稀有な視点
凛とした緊張感のある文体と古風な言葉が
日本語の持つ美しい音の響きを
記憶のそこから呼び覚ます
時折使われる不思議な擬音が
音楽のようにしんしんと身体に満ちてくる
この文章は文字を読んでいるはずなのに
音楽として脳の中で処理されている
そんな錯覚を起こさせる
爆撃による地獄の風景はほとんど描かれていない
描かれているのは極楽浄土の広島
死んでいくものたちの記憶の底にある
最も美しい場所として広島が描かれていた
その頃の広島を知りたくなった作家は
被爆者の語り部に
小さかった頃の広島について尋ねます
相生橋のふもとから子供達が
競争して川へ飛び込むくらい
飲めるくらい水がきれいだったこと
丸小山のふもとには水晶が落ちていて
お結びを持って拾いに行き
氷菓子みたいな小さなかけらを
見つけて宝物にしたこと
草津梅林の梅 長寿園の桜がすばらしく
太田川に沿って満開の桜を
舟遊びをしながら眺めたこと
ひょうたんに砂糖湯で薄めた
白酒を入れてもらって
ぶらさげてお花見に行くのが
とってもたのしみだったこと
語り部が頬を高潮させながら
うれしそうに話す昔の広島
・・そのくだりを読んで
 10年以上前ですが
車で走り回った大都会広島の
イメージがくつがえる思いでした
夢のように美しい街だったのですね・・
「磐神」より
ある日恐ろしい邪気=一機の銀色の
飛来物がやってきた
それが無数の命を一瞬にして奪うことを
イワガミは宇宙の始まりから知っていた
イワガミは神の使いである狐たちを呼び
これから苦しみ焼かれて死んでいくものたち
の魂を彼岸へ送りなさい
使者の無念がこの地に残らぬよう
死にゆくすべてのものたちに
今生の極楽を見せなさい
といいます
キツネは命をかけて灼熱地獄へ降り立ち
紅蓮の炎に身を包みや彼苦しむ者たちに
霊力の限り呪をかけると
人々の至福の記憶が蘇り
一瞬にして肉体の苦痛は消え去った
これは究極の鎮魂だ
そして実際にイワガミがニ葉山の
金光稲荷神社のご神体としてあることを知り
お参りに行きます
ラストは
イワガミに救われた魂は
真珠魂となって空に舞い上がる
成仏した被爆者20万余の魂は
まばゆいばかりの発光体となって彼岸に逝く
光はほうき星のように台地の穢れをはらい
この地上は使者達によって救われた
つまりこうだ
広島を復活させたのは
原爆で死んでいった人々の魂
成仏した人間の魂が大地の穢れを祓い
この地上は使者達の力によって救済された
鎮魂こそが救済なのだ
イワガミが5千年もの長い時間
同じ場所に動かずいるその理由は
なんだろう
広島の表面は刷新された
それを人々は広島の復活と謳った
だけどそうではないことを
「磐神」は描いているのだ
全ては変転しているが
でも何も変わっていない
表面は建て替えられても
地層には数千年の人間の歴史が
まだ埋まっている
文化も風も人も水も地続きで流動している
全てはつながっているのだ
生者も使者も永遠にかかわりあっている
私が迷い込んでいたのは
国際平和文化都市ヒロシマだったのかもしれない
だとしたら正真正銘の広島はどこにあるのか?
長々とダイジェストで転載しましたが
田口ランディという人は
現代の巫女なんだなあと
つくづく感じました
彼女の感じとった「鎮魂」と「救い」は
きっとその通りなのでしょう
これは小説なので
磐神という本が実在するかは分かりません
たくさんの取材をしてフィクションとして
書いたといっています
この小説にでいていた色んな場所
二葉山や金光稲荷神社
そして奥宮には確かに
磐が存在していました
描写の通り何百段もの石段を
登って行くようです
「永遠の火」に登場する
「原爆の火」も実在モデルがあり
今も星野村の「平和の塔」や
火を護る人々によって
燃え続けているそうです
できることなら
昔の広島に行ってみたい
でもどんなに変わっても
磐神はそこにいて
町をみおろし
人々の魂を救い
土地を浄化するために
いつづけるのだろうと
思います
もしかして平和記念公園の中には
何もなくて誰もいなくて
こういう場所で安らかに
憩っているものなのかもしれません
地球上には
こんな一見ただの
岩や川や山があり
だからこそ救われるし
すでに救われているのかも
人々が出向き祈り挨拶をし
大切にする場所とは
そういう場所だからなのでは
自然と共に生き
生かされていることを
忘れては絶対にいけない
安らかに眠って下さいと祈る私達こそが
心安らかに生きるということです
それこそ ずっと
語り継ぐべき大切なこと
被爆のマリア

著者:田口 ランディ

被爆のマリア
全編 ランディさんならではの
鎮魂と救いに溢れています
bomb

    

 

                       

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